2008年03月06日
ムンク展の詳細感想
先日行ったムンク展の詳細な感想をここに書いておきます。
以下、哲学さんの手記より。
以下、哲学さんの手記より。
<3/5 ムンク展に行く>
今日は友人のMくんに誘われ、昼食に行くも、せっかく近くに来たのだから、と兵庫県立美術館でやっているムンク展に行くことにした。
が、方向音痴の哲学さんが案内しても道に迷うだけだった。
それはさておき、哲学さん達が美術館に辿り着いた時は既に16時過ぎであった。
「いかんな……17時に締まったらどうしたものか。一時間も見れん」
「美術館て18時まで開いてるんじゃないのか?」
「県立だからな。お役所仕事って5時で終わるだろ。いわゆるアフターファイブ。公務員は17時になったら定時で帰る。いや、まあ分からんが」
実際に美術館に行くと18時までやってるらしかった。
世の中は上手く出来ている。
哲学さん達はチケットを買って入る。
二人とも、ムンクについては『ムンクの叫び』くらいしか知らない素人である。
解説文を読むと、エドヴァルド・ムンクは人間の悲しみや絶望などを多く書いたことで有名であり、人間の狂気を描く作家としての側面が捉えられがちであるがその本質は「装飾画家」であることし、今回の展示はそれを前面に押し出した内容であるとのことである。
見ていくと、彼は一つの題材について生涯何度も書き直して挑戦しているようである。
同じタイトルで同じ構図の絵が幾つも見られる。
また、今回の展示では習作が結構な数展示されており、一つの絵に対する習作やスケッチを併せて見ることが出来、作品が出来上がるまでの過程を伺うことが出来る。
特に、初期の作品には「生命のフリース」という繋がりが見られる。
この場合、『フリース』とは「シリーズ」的な意味で使われている。元来の意味は古典西洋の柱にある横長の装飾のことである。一連の連作を一つの柱を表す装飾として彼は捉えていたのかも知れない。ちなみに、フリースの綴りは「Frieze」。凍結の「Freeze」とは違う。
それはともかく、彼の『生命のフリース』の中には、かの有名な「ムンクの叫び」も含まれる。ちなみに、これは絵のタイトルはあくまで『叫び』であり、「ムンクの叫び」という絵ではなかった。
それはそれとして、実はこれは一枚の絵ではなく、3つ同じ構図の絵があり、『叫び』『不安』『絶望』である。それぞれ同じ橋の上に立つ人間が叫んだり、不安に立ちすくんだり、絶望に打ちひしがれる様を表している。橋とは色んなイメージが捉えられる。例えば過去から未来への架け橋。未来へ行く途上の橋の上で現在の我々は不安や絶望にかられ、狂気の果てに叫ぶのかもしれない。
かと思えば、瑞々しい命に溢れる絵もこの『フリース』の中に沢山含まれる。
面白いと思ったのは『メタポリウム』。意味は『転生』である。
絵にはアダムとイヴが木を中心にして向かい合っている絵だ。しかし、その絵の額縁の下には恐竜などの化石の彫刻が貼られており、額縁の上部分には青々と茂った木の上に現代の発展した都市の姿が掘られている。
このモチーフは色んなところで使われている。
地面には骨があり、その上で男女が抱き合い、男女の上では木々が生い茂るといった構図が多々使われている。
それは過去の蓄積の先に、男女の営みがあり、そして未来が生い茂るという寓意的なメッセージがあるのだろう。
彼は病弱であったため、人一倍死という物に敏感であったが、未来への希望も持っていたのだろう。
また、女性に関してもスフィンクスという絵の構図が色んな所でモチーフで使われている。スフィンクスの謎かけで有名なのは「朝は四本、昼は二本、夜は三本とは何か?」という問いかけで答えが人間というもの。人間の過去未来現在を表している。それと同じように女性の清純、成熟、老い、の三つを表現した絵が多かった。
特に、少女の清純を表した「夏の夜(Summer Night)」はとてもいい絵だった。哲学さんもMくんもとても気に入った。
また、ムンクは配置にも拘った。
絵の題材、置く場所、それらが一体となり、空間そのものを一つの作品として作り上げていたようだ。
なかでも、彼は『門』をモチーフとしていた。
門をモチーフとして様々な絵を描いている。
門とはどこかへはいる入り口である。
そして、先ほど述べた『叫び』『不安』『絶望』もそのシリーズの一つであった。
この三つを並べ、左右の下に縦長の絵を置き、そしてその上には『天空の出会い』という空で二人の男女が出会う絵が配置されてあった。
6枚の絵が門の形に置かれ、作品となっていたのである。
左右に配置された縦長の絵は老人達の顔である。
その上にあるのは橋の上で絶望する人達。
でも、更にその上にあるのは男女の出会い。
これが過去、現在、未来の流れであると考えるのならば、ムンクはロマンチストだったんだなぁとやたらめったら感動してしまった。
この門の形の配置はそれそのもので色々と完結している。
素晴らしい作品だと思う。
この配置を見れただけでも哲学さんは来た甲斐があったと思った。
その他、ムンクは色々な絵を書いていたが、哲学さんが気に入ったのはオスロ大学講堂に飾られている「太陽」「歴史」「アルマ・マーテル」という三つである。兵庫県立美術館に飾られていたのは「太陽」と「歴史」の習作のみである。現物はさすがにない。
この『オスロ大学講堂』とはかつてノーベル賞の受賞式が行われた場所である。その神聖な場所を装飾するにあたって、彼は実に意欲的に取り組み、素晴らしい絵を描いている。その中でも、やはり哲学さんはこの「太陽」「歴史」「アルマ・マーテル」の組み合わせは素晴らしいと感じた。
右手には子供を育てる母親の絵。右手には歴史を伝える老人の絵。正面には太陽。
彼が生涯をかけて描いてきた命の流れを強く描き出していると思う。
晩年の作品は労働者を描いた物が多い。
その当時のヨーロッパの気運を示すが如く、労働者達の姿を描き出している。特に、雪をかく労働者と馬の構図が多かった。しかし、その中にも生命のフリースの名残を見られるのが面白い。
一通り見終わって売店に行くと、Mくんは「夏の夜」のポストカードを買った。
哲学さんは部屋に飾るように「夏の夜」の大きな額絵を買ったら、彼も「あ、そっちの方がいいかも」と言って大きい絵も買った。
そして、そのまま帰ろうとしたが、やっぱりカタログが欲しくなって哲学さんは美術館で初めてカタログを買った。2400円。とても高かった。だが、その価値はあると思った。
かくて哲学さんの日常は続いていくのである。
<そんな訳で>
いつも日記を書くと長文になってしまう哲学さんです。
なにはともあれ、ムンク展とても楽しかったです。
その楽しさが少しでも伝われば、と思います。
ムンク展自体は3/31までやってるので、時間のある方は行ってみるのもいいでしょう。
兵庫県立美術館へのマップ。
今日は友人のMくんに誘われ、昼食に行くも、せっかく近くに来たのだから、と兵庫県立美術館でやっているムンク展に行くことにした。
が、方向音痴の哲学さんが案内しても道に迷うだけだった。
それはさておき、哲学さん達が美術館に辿り着いた時は既に16時過ぎであった。
「いかんな……17時に締まったらどうしたものか。一時間も見れん」
「美術館て18時まで開いてるんじゃないのか?」
「県立だからな。お役所仕事って5時で終わるだろ。いわゆるアフターファイブ。公務員は17時になったら定時で帰る。いや、まあ分からんが」
実際に美術館に行くと18時までやってるらしかった。
世の中は上手く出来ている。
哲学さん達はチケットを買って入る。
二人とも、ムンクについては『ムンクの叫び』くらいしか知らない素人である。
解説文を読むと、エドヴァルド・ムンクは人間の悲しみや絶望などを多く書いたことで有名であり、人間の狂気を描く作家としての側面が捉えられがちであるがその本質は「装飾画家」であることし、今回の展示はそれを前面に押し出した内容であるとのことである。
見ていくと、彼は一つの題材について生涯何度も書き直して挑戦しているようである。
同じタイトルで同じ構図の絵が幾つも見られる。
また、今回の展示では習作が結構な数展示されており、一つの絵に対する習作やスケッチを併せて見ることが出来、作品が出来上がるまでの過程を伺うことが出来る。
特に、初期の作品には「生命のフリース」という繋がりが見られる。
この場合、『フリース』とは「シリーズ」的な意味で使われている。元来の意味は古典西洋の柱にある横長の装飾のことである。一連の連作を一つの柱を表す装飾として彼は捉えていたのかも知れない。ちなみに、フリースの綴りは「Frieze」。凍結の「Freeze」とは違う。
それはともかく、彼の『生命のフリース』の中には、かの有名な「ムンクの叫び」も含まれる。ちなみに、これは絵のタイトルはあくまで『叫び』であり、「ムンクの叫び」という絵ではなかった。
それはそれとして、実はこれは一枚の絵ではなく、3つ同じ構図の絵があり、『叫び』『不安』『絶望』である。それぞれ同じ橋の上に立つ人間が叫んだり、不安に立ちすくんだり、絶望に打ちひしがれる様を表している。橋とは色んなイメージが捉えられる。例えば過去から未来への架け橋。未来へ行く途上の橋の上で現在の我々は不安や絶望にかられ、狂気の果てに叫ぶのかもしれない。
かと思えば、瑞々しい命に溢れる絵もこの『フリース』の中に沢山含まれる。
面白いと思ったのは『メタポリウム』。意味は『転生』である。
絵にはアダムとイヴが木を中心にして向かい合っている絵だ。しかし、その絵の額縁の下には恐竜などの化石の彫刻が貼られており、額縁の上部分には青々と茂った木の上に現代の発展した都市の姿が掘られている。
このモチーフは色んなところで使われている。
地面には骨があり、その上で男女が抱き合い、男女の上では木々が生い茂るといった構図が多々使われている。
それは過去の蓄積の先に、男女の営みがあり、そして未来が生い茂るという寓意的なメッセージがあるのだろう。
彼は病弱であったため、人一倍死という物に敏感であったが、未来への希望も持っていたのだろう。
また、女性に関してもスフィンクスという絵の構図が色んな所でモチーフで使われている。スフィンクスの謎かけで有名なのは「朝は四本、昼は二本、夜は三本とは何か?」という問いかけで答えが人間というもの。人間の過去未来現在を表している。それと同じように女性の清純、成熟、老い、の三つを表現した絵が多かった。
特に、少女の清純を表した「夏の夜(Summer Night)」はとてもいい絵だった。哲学さんもMくんもとても気に入った。
また、ムンクは配置にも拘った。
絵の題材、置く場所、それらが一体となり、空間そのものを一つの作品として作り上げていたようだ。
なかでも、彼は『門』をモチーフとしていた。
門をモチーフとして様々な絵を描いている。
門とはどこかへはいる入り口である。
そして、先ほど述べた『叫び』『不安』『絶望』もそのシリーズの一つであった。
この三つを並べ、左右の下に縦長の絵を置き、そしてその上には『天空の出会い』という空で二人の男女が出会う絵が配置されてあった。
6枚の絵が門の形に置かれ、作品となっていたのである。
左右に配置された縦長の絵は老人達の顔である。
その上にあるのは橋の上で絶望する人達。
でも、更にその上にあるのは男女の出会い。
これが過去、現在、未来の流れであると考えるのならば、ムンクはロマンチストだったんだなぁとやたらめったら感動してしまった。
この門の形の配置はそれそのもので色々と完結している。
素晴らしい作品だと思う。
この配置を見れただけでも哲学さんは来た甲斐があったと思った。
その他、ムンクは色々な絵を書いていたが、哲学さんが気に入ったのはオスロ大学講堂に飾られている「太陽」「歴史」「アルマ・マーテル」という三つである。兵庫県立美術館に飾られていたのは「太陽」と「歴史」の習作のみである。現物はさすがにない。
この『オスロ大学講堂』とはかつてノーベル賞の受賞式が行われた場所である。その神聖な場所を装飾するにあたって、彼は実に意欲的に取り組み、素晴らしい絵を描いている。その中でも、やはり哲学さんはこの「太陽」「歴史」「アルマ・マーテル」の組み合わせは素晴らしいと感じた。
右手には子供を育てる母親の絵。右手には歴史を伝える老人の絵。正面には太陽。
彼が生涯をかけて描いてきた命の流れを強く描き出していると思う。
晩年の作品は労働者を描いた物が多い。
その当時のヨーロッパの気運を示すが如く、労働者達の姿を描き出している。特に、雪をかく労働者と馬の構図が多かった。しかし、その中にも生命のフリースの名残を見られるのが面白い。
一通り見終わって売店に行くと、Mくんは「夏の夜」のポストカードを買った。
哲学さんは部屋に飾るように「夏の夜」の大きな額絵を買ったら、彼も「あ、そっちの方がいいかも」と言って大きい絵も買った。
そして、そのまま帰ろうとしたが、やっぱりカタログが欲しくなって哲学さんは美術館で初めてカタログを買った。2400円。とても高かった。だが、その価値はあると思った。
かくて哲学さんの日常は続いていくのである。
<そんな訳で>
いつも日記を書くと長文になってしまう哲学さんです。
なにはともあれ、ムンク展とても楽しかったです。
その楽しさが少しでも伝われば、と思います。
ムンク展自体は3/31までやってるので、時間のある方は行ってみるのもいいでしょう。
兵庫県立美術館へのマップ。
Posted by 哲学 at 03:23│Comments(0)
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